😢 出社した朝、止まらない涙
次の日、出社した私は涙が止まりませんでした。 感情をコントロールすることができず、仕事どころではありません。
上司に事情を話し、「今日は休ませてほしい」と伝えると、
「いいから。休職しろ。ゆっくり休んで元気になったら戻ってこい! 総務部長には俺から話をしとくから」
と言われました。
その言葉が本当にありがたく、涙が止まりませんでした。

💢 嫌悪と憎しみ、渦巻く感情
「なぜ、俺はこんな思いをしなければならないのか?」 「なぜ、子供たちは傷つかなければならないのか?」 「なぜ、妻は平気な顔をしていられるのか?」
妻は、私がいなくなりストレスが減ったと新居で喜んでいることでしょう。 その事実に、心の底から憎しみが湧き上がってきました。
でも私は決めました。まずは静養して、淡々と離婚の準備を進めよう、と。
📞 総務部長からの電話と訪問
自宅に戻ると、総務部長から電話がありました。
「課長から話は聞いたよ。大丈夫か?」
私は電話口でうまく返事ができませんでした。
「大丈夫じゃなさそうだな。午後から少し時間が取れそうだから、そちらに向かうよ。近くにファミレスみたいなとこあるか?」
会社から自宅までは車で1時間もかかる距離でしたが、総務部長はわざわざ会いに来てくれました。
これまでの経緯や今後について相談にのってくれ、 「まずは薬をしっかり飲んで、ゆっくり休め」
と、優しく声をかけてくれました。その言葉が心に沁みました。
🛋️ 自宅療養と向き合う日々
次の日から自宅での静養生活が始まりました。
体の負担は減ったものの、毎日子供たちのことが頭から離れず、心は揺れ続けていました。
「なんでこんなことになったんだろう? 俺が何をしたっていうんだ…」
苦しみのあまり、私は『自殺マニュアル』を購入し、最も楽な死に方を調べるまでになっていました。
でも、そこに書かれていた“最も苦しい死に方”の項目を読みながら、どこか他人事のように思えてきました。
🤝 支え合う仲間たちとの再会
このままでは自分が壊れてしまう——そう思った私は、しばらく連絡を取っていなかった仲間たちに連絡をとりました。
同じように離婚を経験した仲間、夫婦関係が破綻している友人など、片っ端から声をかけました。
中には200キロ以上離れたところに住む友人もいましたが、会いに行きました。
時間はたっぷりある。何より、自分を取り戻したかった。
話を聞いてもらい、支えてもらう中で、心の傷は少しずつ癒えていきました。
💪 小さな一歩、心の再生へ
私は心の弱さを鍛えるためにジム通いをはじめ、 気を紛らわすためにバンド活動も再開しました。
気がつけば、あの涙の出社から1ヶ月が経っていました。
🧾 子どもへの想いと決断
私は新居に戻って離婚協議を進める予定でしたが、パパが家に戻れば子供たちに変な期待を持たせてしまう。
それは絶対に避けたい——そう思い、決断しました。
このまま、別居を継続しながら離婚協議を進めていこう。
それが、親としての私なりの“最後の誠意”でした。
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