📄 調査は完了、報告書作成に1か月
探偵から「調査は終了しましたが、報告書作成に1か月ほどかかる」と告げられました。
一刻も早く、妻に真実を突きつけ、罪を認めさせたい。
しかし証拠はまだ公にできない。誰にも言えず、ただただ黙って日々をやり過ごす。
その日々はまさに地獄でした。
😞 希死念慮と心療内科受診
ある日、ふと「この苦しみから逃れたい」と希死念慮が湧き上がりました。
このままでは自分が壊れてしまう。
そう思った私は、心療内科に駆け込み、診察を受けました。診断結果は「適応障害」。

弁護士からも「診断書があれば、慰謝料請求時の有利な材料になる」と言われ、診断書も発行してもらいました。
帰宅すると、妻は何事もなかったように家事をこなしていました。
通院のことを知られれば、「そんなの病気じゃない」「金の無駄遣い」と言ってくるに違いないと思い、薬は見つからないように隠しました。
ところがある日、妻が私の薬を見つけ、義母にこう言っていたそうです。
「私は大学で心理学を学んでいたからわかる。適応障害で病院に行くなんて金のムダ。」
……絶句でした。
🧍♂️ 義父母からの促しと報告書完成へのカウントダウン
妻と口をきかなくなってから、すでに3か月。
ある日、義父母から「お互いにきちんと話をしてほしい」と言われました。
私は「あと2週間だけ待ってほしい」と答えました。なぜなら、報告書の完成が間近に迫っていたからです。
報告書が手元に届いたら、事実確認とともに別居を進めるつもりでした。
🏢 上司への告白と仕事の引き継ぎ
精神的な限界を感じた私は、職場の上司にすべてを打ち明けました。
適応障害の診断書も見せ、「もしかすると休職が必要になるかもしれません」と伝えました。
上司は非常に理解を示してくれ、仕事の引き継ぎ準備を進めてくれました。
📦 遂に報告書完成!衝撃と安堵の瞬間
その1週間後、探偵から「報告書が完成しました」と連絡がありました。
安堵。ようやく、報われる。
すぐに探偵とアポを取り、週末に報告書を受け取りに行きました。
76ページにも及ぶ分厚い調査報告書、そしてDVD4枚。
中身を確認すると、B氏のアパートに仕掛けた定点カメラやスタッフによる尾行映像で、妻とB氏の姿が鮮明に映っていました。
……え?
B氏、まさかのデブでブサイク!?
「どうした、妻……?」
⚖️ 弁護士と作戦会議。そして決戦の夜へ
その足で、私はすぐに野中弁護士の事務所へ。
調査報告書を見た弁護士は一言。
「これは言い逃れできないですね。さすが〇〇探偵事務所」
どうやら、あの辿々しい喋りの探偵とも面識がある様子でした。
夜は、義父母から指定された妻との話し合いの日。
弁護士と今後の対応について打ち合わせたうえで、自宅に帰りました。
風呂に入り、夕飯を済ませたあと、妻が子どもを寝かしつける時間に入りました。
そして、子どもが眠った頃――
妻が部屋から出てきました。
私は立ち上がり、ゆっくりと声をかけました。
「ちょっといい?話があるんだけど…」
準備は整った。
いよいよ、妻との決戦が始まります。
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